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「横浜高島町神風楼之図」歌川国松
高島遊郭に存在した日本一の大楼「神風楼」。
手前に描かれている鉄道駅舎は初代横浜駅(現・JR桜木町駅の場所に存在した)である。
神風楼は、神奈川方面から桜木町方面へ向かう列車のなかからもその煌びやかさが確認されたと伝えられる。
「はま太郎」創刊号「ヨコハマ・理想郷譚 一之章」では、
横浜遊郭のなかでも、とりわけ私有地にして最大級の規模を誇った高島遊郭の繁栄ぶりと、
各方面からの反対を押し切り、自らの私有地に横浜遊郭を誘致した実業家・高島嘉右衛門の野望と情熱に迫る。
「横浜の人たちは、そのときどんなお酒を飲んでいたんだろう」
そんな素朴な疑問を持ったことをきっかけに、街の語りべたちをを訪ね、手触りのよい紙に、公的記録には残りにくい街の記憶と街の歴史秘話をしたためました。
はま太郎4号 「この人、故 木村銀蔵(武蔵屋初代店主) 三杯屋が三杯以上出した夜~語りべ 木村喜久代~」
敬礼のポーズをとりながら「帰れ(けえれ)!」と言う。
そのへんで「ちょうどいいとこ!」と言ったきりもう酒は出さない。
普段酔っ払った客が武蔵屋の格子戸を開けたら、店主の銀蔵さんはむっつりしながら言い放つ。
もちろん、常連でもその対応に差異はない。
「それが、ある夜だけは三杯屋じゃなくなっちゃったのよ。」
そう語るのは娘である二代目の女将。
その夜は、決して三杯以上出さない初代店主が、三杯以上出した夜。常連とともに顔が真っ赤になるまで飲んだ、最後の夜でもあった。
知る人ぞ知る野毛の老舗「武蔵屋」。
語りべの二代目店主の女将は現在93歳。今も現役で三杯屋を守っている。
そんな彼女が語る、初代店主が三杯以上飲んだ異例の夜のこと、そもそも三杯しか飲むことを許さなかった理由、三杯にこだわり続けた店主の心温まるエピソードとは…。
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